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ボケる原因は老化ではなくその人の生き方次第

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kioku

ボケないようにXXXをすると言ってる人はあなたの周囲にもいると思います。
そういう方って年齢に思えない早い段階から食事だったり頭を動かすことを意識されたりしているのではないでしょうか。

ただ、算数は得意だけどボケている人もいるようです。なぜボケる原因があるのでしょうか?

(理由は聞かないでほしいのですが笑)
私の場合、昔からお年寄りの話しを聞くのが好きでいろんな方の話しを聞いてきました。


それほどでもないお年でもボケている人もしますし、特にそれなりの年齢でもボケずに話しを聞けば聞くほどに引き込まれる話しをさせる人もいます。

ボケる原因・ボケない原因としてこういう解釈があってもいいのではないか?ということについて
腑に落ちたので書いてみることにしました。

一般的な解釈と乖離しているかもしれませんが読んでみると面白いかもしれません。

これ何年か時を経て自分が読み返しても納得するだろうなぁ。

なぜボケるのか?

80才という年齢に人を見比べるとボケている人とボケていない人がいます。

その両者を見比べると「死」のとらえ方で差が生まれているような気がします。
「死」は当然は恐怖の対象。一切が無になる瞬間を想像するだけで恐ろしいに決まっています。

ボケてしまった人の話しを聞いて思い出す話といえば、
過去の良かった話はしてもらうか過去の武勇伝的な話を聞くことが多い気がします。


その理由は、一人で孤独に過ごしている時間が長いだけに一切が無になる瞬間を想像する恐怖のとらえ、
恐怖から逃避するため、過去の楽しい記憶だけを呼び起こせるように、
脳が最適化された結果ボケるという事象が発生してしまっているからでしょう。

人間、恐怖からは逃げたいものです。

そうは言ってもボケたくないというなら?

だとして、ボケたくないなら、

現実に向き合っているか?向き合い続けていられるか?

というのが課題となるでしょう。

過去の楽しい記憶の中に包まれることよりも、現実の中にいることを選択する必要があるのでしょうから。


少し考えてみてください。

周囲とのつながりを無くすと自分の内面しか向き合うものが無く、
自分の記憶の最適化の結果、辛い記憶が削られていき、
今の自分にとって都合の良い記憶だけが残るからこそボケという状態になります。


60を過ぎた時のことを想像してみて下さい。

仕事を退職しゆったりとした時間を過ごし最終的にたどり着く道を選ぶのでしょう。


自分の中にも
子供の頃の自分、仕事をしていた自分と
いろんな自分の記憶が存在している中で自分が残したい記憶だけを残していくと
楽しかった時の記憶のみが残るのでしょう。

自分の記憶の断捨離の結果として。ボケるのでしょう。


本当にボケたくないのか?と考えてしまいます。

ボケるのかボケないのかはその人の選択の自由なのです。


ボケるという事は自分の内面の悪い部分に蓋をし良い面のみを評価する現象で
ボケないという事は今までの自分もこれからの自分も認めそれでも社会と繋がろうとする現象のような気がします。


ただこれ自体は、個人の内面・外面といった境界線に閉じる、話しではないと思います。

人に必要とされるからこそ年を取っても活動的


年を取っても活動的な著名な方を思い浮かべてください。

例えば稲盛和夫さん。
(さんというのもおこがましいのですが)

知ってる方も多いと思いますが
京セラの創業者でJALを経営危機から救った人物です。

著書から人生を読み解くとかなりぶっとんでいます。
そのエッセンスだけお伝えすると、

子供の頃から体が弱かったのですが仕事に一生懸命取り組むことで生きる力を得たことから
仕事をすることで人は変われると確信を持ち
社会で成功しているにも関わらず今なお社会に何かを伝えようとされています。


このことから、人に必要とされるからこそ自分の中に眠っている力を呼び起こし
生きようとしているというより生きて欲しいと願う人達がいるからこそ
お年を取られても盛んに行動されているのではないかと感じずには入られません。

分離と統合を超えてあるべき自分を作り上げる

子供の時の自分、学生の自分、社会人の自分などなど。
自分の中には複数の人格のようなものが存在します。

その人格が何かのイベントが発生してしまった時には自分の中の複数の人格が会議します。
本当は多数決で決めるべきなのです。

なのですが、
会議中にその人格の強弱によりどれかの人格を締め出していくと

それらの人格が自分の中で対立した影響で自分の中での思考が二分され
その時々により自分の中でトラウマのように葛藤が起こります。

それを分離と呼びます。


それとは違い苦しみがあったとしても複数の人格が合意し一歩ずつ進んでいく

それを統合とよびます。


自分の内部的なものが分離が起こり続けるのか、統合がしっかり起こっているのか。

この2つのどちらかに揺れることも多いのですが、分離していると楽な方に流れるためボケる原因になりやすいのですが、統合の方向に向かうとボケない原因につながるのです。

統合し社会と向き合うことがボケないこと!だとしたら?

ボケないということは何も社会的に認められた方ではなく、
周囲のお年寄りを見ていても

過去の行動があるから今の自分があり、
これから先の目標があるから今の自分がある。
だから自分はこう生きようという信念があるから、
自分が思うがままで生き続けることができるので
ボケることはないのでしょう。


よく、
ボケたくないからDHA・EPAを取ろう!
ボケたくないから算数のドリルを取ろう!
とCMで流れて啓発されるようですが、

それも一因かもしれませんが
あくまで機能の向上の話でしかありません。


そうではなく、

車だと機械が新品同様であっても燃料があってこそ動くように、
自分に対して生きて欲しいと願われる人間であればその要請をもってその場に生かされるのではないでしょうか?


古い言い方をすれば
使命があるからこそ人は生きられるのかもしれません。



一人に与えられている時間は有限ですよね。
その有限である時間をどう過ごすかはその人がとった選択次第。


とった選択の結果、
今回のテーマのようにボケるorボケないという選択の自由が与えられています。


自分がボケたくないなら
世間に役立つ自分であるために今何をしたらよいか?
を常に考えるが必要で、


親・親類・家族に対してなら
その人に感謝し何かやってほしいことをお願いしていく
ことが必要です。


本人が燃料を補給して現実にアウトプットしようとする信念があれば
ボケないのではないでしょうか。


周囲が要請するからこそ本人が価値を感じ
信念があるからこそ自分に価値を感じいつまでも若く生きられるのでしょう。

ボケない人生を選択するなら?


自分のそれなりの年齢になったので
それなりの年齢の方と接する方が増えてきました。


話しに信念を感じさせてくれる人は年齢を感じさせないエネルギーを感じます。

自分を作るのは思いの強さや常に自分を設計する気持ちだったり周囲の人に認められるその人の人格なのでしょう。


だとしたらどういう人生が正しいのか?ではなく、自分が作る世界観が人をどう楽しませるか?がボケない鍵だと思います。


この前提があるとしてその本人がどういう人生を生きたいかを自分の内面から導き出せた答えがあると信じ行動するならボケるorボケないと前提すら不要なのかもしれないですね。


だから自分が本当にやりたいことを認識しているという事実は人生を歩む上で必要なのでしょうね。


あなたはどういう人生を歩みたいですか?

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